偉人
みえを創り、未来を拓いた人々
The People Who Shaped Mie and Opened the Future
三重県は、古くからこの地に根ざし、日本の 、そして世界の歴史にその名を刻んできた偉人たちを数多く輩出してきました。三重県にゆかりのある偉人たちは、それぞれの時代において、情熱と類まれな才能をもって、既成概念を打ち破り、人々の心を動かし、社会を大きく前進させたのです。科学や文化、産業、芸術の分野における偉人たちの業績は、三重県の豊かな自然と文化、そして地域社会の支えのもとで育まれました。
ここに紹介する偉人たちの功績は、単に過去の栄光ではなく、今日の社会や地域の発展に今も影響を与えています。先人達の挑戦の精神や創造力は、次世代を担う子どもたちに希望と誇りをもたらし、未来への道標となるのです。三重県の豊かな土壌が育んだ人々の志は、これからも地域の文化や社会を支え続け、さらなる発展へとつながっていきます。
偉人の歴史

岩村 定高1828年(文政11年)~1899年(明治32年)
生年月日1828年11月12日
佐賀藩士の家に生まれる。
1872年10月20日(明治5年9月18日)三重県参事に転じました。1873年11月2日、三重県権令、1875年12月9日、三重県令に昇進。1876年4月18日、現在の三重県が成立し引き続き県令を務め、県政の基礎を確立することに尽力されました。同年12月に起きた、飯野郡(現在の松阪市)に端を発した地租改正反対一揆である伊勢暴動も乗り越えられました。岩村の発案による当時の三重県の洋風県庁舎は、現在博物館明治村に移築され展示されています。

御木本 幸吉1858年(安政5年)~1954年(昭和29年)
生年月日
1858年3月10日(安政5年1月25日)
志摩国答志郡鳥羽大里町(現・鳥羽市)生まれ。
1890年(明治23年)アコヤガイ(真珠貝)の養殖に着手し、英虞湾で養殖真珠の実験を開始しました。1893年(明治26年)箕作佳吉らの指導のもと半円真珠の養殖に成功。1899年(明治32年)東京に御木本真珠店を開店。娘婿の西川藤吉らにより真円真珠養殖法が発明され、1908年(明治41年)にはその特許を取得しました。1921年(大正10年)、日本の真珠商人が扱っている養殖真珠は天然真珠の模造品であると訴える記事がロンドンの新聞に掲載され、パリでは民事裁判にもなりましたが、結果勝訴となりこの裁判を機に養殖真珠は、世界に広く認められるようになり、「真珠王」と称されています。
写真提供:ミキモト真珠島

尾崎 行雄1858年(安政5年)~1954年(昭和29年)
生年月日
1858年12月24日(安政5年11月20日)
相模国津久井県又野村(現・神奈川県相模原市)生まれ。父の転任に伴い度会県山田(現・伊勢市)に移住。
1890年(明治23年)第1回衆議院選挙に三重第5区から出馬し、以来、1953年(昭和28年)の第26回選挙で落選するまで、三重県選出の衆議院議員であり続けました。当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有し、「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれ、民主主義の礎を築きました。
写真提供:一般財団法人尾崎行雄記念財団

石原 円吉1877年(明治10年)~1973年(昭和48年)
生年月日1877年12月7日
1877年(明治10年)12月7日 三重県英虞郡和具村(現・志摩市志摩町和具)生まれ。
網元として遠洋漁業を営む一方、マンガン鉱採掘やヨード生産など幅広い事業を全国各地で展開しました。
1923年(大正12年)、三重県議会議員に初当選し5期連続当選。全国漁業組合学校長、県漁業協同組合連合会長などを歴任し、衆議院議員時代には漁業法や水産資源保護法の成立に携わるなど、水産業振興に尽くされました。
また、伊勢志摩の自然保護と観光振興に取り組んだ先駆者でもあり、国立公園指定や「円吉ざくら」の植樹運動を推し進めました。その取り組みは、海づくり大会や海の博物館の設立へと受け継がれています。
写真提供:鳥羽市立海の博物館

川喜田 半泥子1878年(明治11年)~1963年(昭和38年)
生年月日1878年11月6日
1878年(明治11年)11月6日生まれ。
三重県でも一、二を争う豪商木綿問屋「川喜田家」に長男として誕生。生後間もなく祖父と父を相次いで亡くし、わずか1歳にして16代当主となりました。
半泥子は、企業の要職を務める多忙な日常の中で、書画、茶の湯、俳句、写真など多彩な趣味を持ち、芸術的才能を発揮しました。なかでも陶芸の分野では、「東の魯山人・西の半泥子」「昭和の光悦」などと称され、近代陶芸界に大きな足跡を残した半泥子の作品は、今なお多くの人を魅了し、 趣味の域を超え、高い評価を受けています。
写真提供:公益財団法人石水博物館

江戸川 乱歩1894年(明治27年)~1965年(昭和40年)
生年月日1894年10月21日
三重県名賀郡名張町(現・名張市)生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業後、貿易会社勤務をはじめさまざまな職歴を経て1923年(大正12年)に処女作『二銭銅貨』を発表。以後、『D坂の殺人事件』、『パノラマ島奇談』、『屋根裏の散歩者』、児童向けの『怪人二十面相』、『少年探偵団』など数々の推理小説を世に送り出し、名探偵明智小五郎の生みの親としても幅広い人気を集めました。1954年(昭和29年)には、自身の寄付をもとに日本探偵作家クラブ(のちの日本推理作家協会)が江戸川乱歩賞の制定を決定し、翌1955年(昭和30年)に第1回の授賞が行われました。
乱歩はその名を冠した賞の創設に深く関わり、後進の育成にも大きな役割を果たしました。
写真提供:江戸川乱歩館

本田 宗一郎1906年(明治39年)~1991年(平成3年)
生年月日1906年11月17日
静岡県磐田郡光明村(現・浜松市天竜区)生まれ。
1948年(昭和23年)に本田技研工業株式会社を設立し、自ら代表取締役に就任してオートバイの生産を開始しました。朝鮮特需が終了しオートバイが売れなくなった際、マン島レースで1位になると宣言し、倒産寸前の会社の士気を高め、苦難を乗り越えました。1960年(昭和35年)にはHondaの国内3番目の工場として、鈴鹿製作所が誕生。1962年(昭和37年)には鈴鹿サーキットが完成しました。鈴鹿市をモータースポーツの聖地としてその名を全世界に轟かせました。
写真提供:本田技研工業株式会社

西村 幸生1910年(明治43年)~1945年(昭和20年)
生年月日1910年11月10日
三重県宇治山田市大世古町(現・伊勢市大世古二丁目)生まれ。
宇治山田中学校、愛知電鉄、関西大学を経て1937年(昭和12年)大阪タイガースに入団。速球とカーブ、巧みに操るコントロールを武器に通算55勝を挙げ、「巨人キラー」と呼ばれるなど、チームの二度の優勝に貢献しました。1977年(昭和52年)には、野球界に対する貢献が認められ、野球殿堂入りとなりました。
写真提供:公益財団法人野球殿堂博物館

澤村 榮治1917年(大正6年)~1944年(昭和19年)
生年月日1917年2月1日
三重県宇治山田市岩淵町(現・伊勢市岩淵一丁目)生まれ。
明倫小学校、京都商業学校に進み、1936年(昭和11年)にプロ野球が誕生すると、東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)のエースとして活躍しました。「三段ドロップ」といわれた落ちるカーブで、チームをプロ野球最初の日本一へ導きました。その後、日中戦争の拡大により徴兵され、2年間戦場で野球ボールの3倍以上重い手榴弾を訓練や実戦で投げ続けました。その結果肩を壊し天才投手のキャリアを閉ざす原因となりました。
1947年(昭和22年)には彼の功績をたたえ、最も活躍した投手に与えられる「沢村賞」が制定され、1959年(昭和34年)には野球殿堂入りとなりました。
写真提供:公益財団法人野球殿堂博物館

高畑 勲1935年(昭和10年)~2018年(平成30年)
生年月日1935年10月29日
三重県宇治山田市(現・伊勢市)生まれ。
アニメーション映画監督。1959年(昭和34年)に東京大学文学部仏文科を卒業後、東映動画に入社。テレビシリーズ『狼少年ケン』で初演出を担当しました。続いて、劇場用映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』で監督デビューを果たします。同社を退社後、『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』などのテレビ作品を手がけました。その後、スタジオジブリの設立に参加。『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』『かぐや姫の物語』など、数々の劇場アニメーションを発表し、『かぐや姫の物語』は米国アカデミー賞長編アニメーション映画部門にノミネートされました。
1998年(平成10年)に紫綬褒章を受章し、2009年(平成21年)にはロカルノ国際映画祭で名誉豹賞を受賞。さらに、2015年(平成27年)にフランス芸術文化勲章オフィシエ、2016年(平成28年)にはウィンザー・マッケイ賞を受賞するなど、国内外で数々の栄誉に輝き、アニメーション界に大きな足跡を残しました。
写真提供:株式会社スタジオジブリ

野口 みずき1978年(昭和53年)~
生年月日1978年7月3日
三重県伊勢市出身。
厚生中で陸上を始め、三重県の強豪・宇治山田商高に進み、全国高校総体に2年連続で出場。1999年(平成11年)に初ハーフに挑戦すると、世界ハーフマラソン選手権で銀メダルを獲得するなど才能が開花し「ハーフの女王」の異名をとりました。2002年3月の名古屋国際女子マラソンで満を持してマラソンに挑み初優勝。2004年(平成16年)のアテネ五輪では金メダルに輝きました。その後はたびたびケガに苦しむ時もありましたが、その力強い走りで観る人々の心に勇気と感動をもたらしました。
写真提供:お伊勢さんマラソン実行委員会

吉田 沙保里1982年(昭和57年)~
生年月日1982年10月5日
三重県津市生まれ。
父が自宅の道場で開くジュニア教室で3歳からレスリングを始めました。
2002年世界選手権に初出場初優勝し、2015年大会まで13連覇。五輪は4大会連続出場して、2004年アテネ大会、08年北京大会、12年ロンドン大会は金メダルを獲得し3連覇を勝ち取り、リオデジャネイロ大会では銀メダルを獲得しました。2012年(平成24年)に五輪と世界選手権を合わせて世界大会13連覇を達成し、国民栄誉賞を受賞しました。様々なプレッシャーもある中でその逆境を乗り越え、通算、世界大会16連覇、個人戦206連勝という輝かしい成績を残しました。
写真提供:YSW Tokyo Inc.